■神戸市立烏帽子中2年
井上 輝星くん(2015年東北ツアー参加)
食べ物や支援がまだ届かない時にも、言葉がきちんと通じない外国人や、中高生たちが避難所で活躍していたのが印象に残った。「皆が協力し合えば、できない事は何もない」ということを、災害時には思い出したい。
■神戸市立菅の台小4年
駒井 めぐみさん(姉のあかりさんが15年東北ツアー参加)
東海大生それぞれが、「自分たちが何かしなければ」と自然と同じ気持ちになって、やがて大きな活動になっていったのはすごい。関西でもいつ大地震が起きるか分からないので、語り部の皆の話はきっと役に立つと思う。
■同志社中2年
花山 桜子さん(14年東北ツアー参加)
熊本城の復興には、地域の人々の団結力と技術、多くの寄付が集められていると知り、街の未来はとても明るいように感じた。単なる観光スポットでなく、地元にとっては宝物のような存在なので、私も募金をしたくなった。
■神戸市立鈴蘭台小6年
古川 蓮さん(16年東北ツアー参加)
今回取材した人全員が、「つながり」を大事にしていた。私もまずは近くにいる人とつながり、助け合えるようになりたい。また、離れた場所で起きた災害でも、自分にできることは少なくても、被災者の気持ちが分かる人間になりたい。
■神戸市立高取台中3年
村上 敬規くん(15年東北ツアー参加)
地元・神戸にも数多くの外国人が住んでいるので、もし地震が起きて困っていたら、こちらから積極的に声をかけようと決意した。「避難所」がない国の人、「余震」という漢字が読めない人たちに、意味をしっかり伝えてあげたい。
熊本地震の前震を受けて現地取材に入り、その夜に本震に遭った。ホテルのベッドから転げ落ちた後は、よく覚えていない。防災士、災害担当記者として知識はあるはずなのに、しばらくぼうぜんとして路上に座り込んでいた気がする。
今回、子ども記者の印象に残ったのは、地震直後からたくましく行動した外国人や一人暮らしの学生たちだ。言葉や土地を知らない彼らは、災害弱者になるのではなく、人を助ける側にまわった。避難所という漢字を翻訳すること、水の入ったバケツを運ぶこと、すぐできることから始めていた。
旅を終えた子どもたちは「もし災害に遭ったら、自分も何かできると思った」と言う。この世代は一生のうちに必ず大地震を経験するだろう。「その日」に備え、共助へのハードルを下げることが、最大の防災教育かもしれない。
私ごとだが、今日付けで福井支局の次席に着任した。今度はデスクとして、防災のための紙面作りを考えたい。(上田 貴夫)