※年齢、所属は取材当時のものです。
子ども記者が最初に取材したのは、国指定特別史跡の熊本城だ。1607年の築城当時からある「宇土櫓(うとやぐら)」など国指定重要文化財の13建造物全てが損傷し、各所で石垣も崩れた。
同城に案内してくれた「くまもとよかとこ案内人の会」所属のボランティアガイド岩村克美さん(66)は「熊本人にとって特別な建物。被災した姿を見た時、涙が出た」と振り返る。
同会によると「復旧過程は今しか見られない」と観光客の人気を集め、熊本城案内の需要は高まっているという。岩村さんは案内の合間に自らの被災体験を語り、「学生を含め若い人が物資や水の搬送で活躍していた」など避難所での印象深いエピソードも挙げた。
工事用ネットに覆われた大天守や、倒れた長塀を背景に説明に当たったのは熊本城調査研究センターの網田龍生副所長(53)。石垣の崩落で床が露出し、隅に残った石が「一本足」状にやぐらを支えている現場では、「昔の人は、外側に四角い石を整えて積むと、揺れに強くなると知っていた」と説明。
「崩れた石はそのまま積み直すのか」との記者の質問には、コンピューターなどを駆使した最新技術を基に再現するとした上で、「内側の石には丸いものが使われているが、角張っている方が地震には強い。だが、文化財なのでそのまま戻すかどうかは悩ましい点だ」と明かした。
また、「熊本城復旧のための技術は、社会の別の場面でもきっと役に立つ。これからの復旧過程のどこかに、皆さんが関わってくれるようなことがあればうれしい」と子ども記者に希望を託した。
もし、外国で被災したら、自分は「災害弱者」かも知れない――。熊本地震で被災し避難生活を経験した外国出身の熊本在住者らに、熊本市国際交流会館で話を聞いた。
取材に応じたのは留学生や大学教員ら4人。子ども記者から英語で「夢は箱根駅伝に出場すること」といった自己紹介が披露され、和やかなムードで取材が始まった。「避難生活で最も困った事は」という子ども記者の問いに、ネパール出身の教員デブコタ・ハリさん(35)は「『避難所』『給水』など普段接しない言葉への戸惑いのほか、母国には避難訓練や防災教育がないので、避難所というシステムそのものの理解に時間がかかった」と答える。
外国人避難対応施設に位置づけられていた同館は、地震後20日間で、外国人の在住者・旅行者を中心に延べ784人の避難者を受け入れた。その後、スタッフや外国人が協力し、災害情報の多言語化や、外国人被災者の安否確認・支援情報提供を目的とした避難所巡回などの活動を開始。災害情報の英訳を行ったフィリピン出身のエレイン・ミッションさん(34)は「ただの避難者ではなく、『自分にもできることがある』と思うと前向きな気持ちになれた」と話す。また、パプアニューギニア出身のフランシス・ワーギライさん(29)は自身を含む外国人留学生らの被災体験を共有し将来の災害に備えるプロジェクト『KEEP』※の取り組みについて語った。
※Kumamoto Earthquake Experience Project