写真=「未来へ紡ぐリレープロジェクト 」ジュニア記者 共同取材
上段左=鳴海彩花さん(高校2年生)、中=辻森誠也さん(高校2年生)、右=駒井めぐみさん(中学1年生)
中段左=駒井あかりさん(高校1年生)、中=花山桜子さん(高校2年生)、右=河合穂佳さん(高校1年生)
下段中=岩佐賢司郎さん(高校1年生)
(下段左は根岸さん、右は菊池さん)
阪神エリアに住む子どもたちが被災地を訪問・交流し、震災の教訓を語り継ぐ「未来へ紡ぐリレープロジェクト」。今回は東日本大震災10年を前に「オンライン東北ツアー」を開催しました。中学生当時、岩手県・釜石で津波を目の当たりにした菊池のどかさんと、震災後にボランティアで訪れた宮城県・気仙沼に東京から移住した根岸えまさんが講師。10年を経た2人の話は、多くのことを気づかせてくれました。
(2月11日、ビデオ会議システムZoomで開催)
釜石市鵜住居 いのちをつなぐ未来館
菊池のどかさん(25歳)
震災の時、その後の想い
震災の時には、生徒はみんな教室や運動場や体育館とかバラバラの場所にいましたが、事前に決められていた点呼場所にみんなが走って集まってきた時には、危険だと思ったのは自分だけじゃないんだと希望が持てました。先生がすぐに、「逃げろ!」と指示してくれたので山手に逃げようとしましたが、その時には隣の小学校の子どもたちが逃げ出している様子がなく、みんなで「津波だ」「逃げろ」と口々に叫んだことを覚えています。私は、「津波だ」というよりも「何だこれ?」と思いました。まっ黒い壁が町に流れ込んでくるイメージ。私はとにかく「死にたくない」と山に向かって走りました。避難後、町を見る元気はありませんでした。最初の避難場所で小学生と合流することができましたが、泣いている小学生に「大丈夫」としか声をかけることしかできませんでした。
私の家は山手にあって、津波の影響はありませんでした。けれど、被災していない自分が同じように扱われていることに対しすごく申し訳なく思っていました。けれど、その気持ちを友達はもちろん、親にも話すことはありませんでした。
防災を考える仲間を増やして
当時を考えたら、学校での防災学習は身についていたし、自分のためにはなったけれど、それを地域や親、家族に広く伝える難しさを中学生の時からすごく感じていました。
震災を経験したこの町の住人として、防災というものに関わる機会をとりあえずみんなにもってもらい、気軽に防災について考えて欲しいなと思うようになりました。
この10年間ですごく迷いもあったし、今もこれであっているのかなと思うことはたくさんあります。けれどひとつ言えるのは、防災って自分が守りたい人や町に対し、一生懸命誠実に考えてもらうことが大切なんだということです。
みんなに伝えたいのは、いつ災害が起きるか、本当にわからないということ。何かが起きた時には、できないことがたくさんあります。その前に、地元で災害について残っている伝承を一生懸命調べたり考えたり、地域の人と少しでも顔見知りになっておくとか、できることはすごくたくさんあります。人とのつながりを大切にし、みんなが過ごしている日常生活を大切にしてほしいなと思います。
鵜住居(うのすまい)でも震災を経験していない子たちが増えていますが、私は災害にあったことがあるかないかは関係ないと思います。被災したことがなくても、ちゃんと向き合って希望を持って学習している私たちの次の世代には、一緒に防災・減災について考える仲間を増やしていくことをがんばってほしいと思います。
菊池のどか
震災伝承施設「いのちをつなぐ未来館」に勤務。中学生の時に東日本大震災を経験。その避難経験は、生徒たちが率先避難者となった「釜石の奇跡」としても広く知られている。岩手県内の大学卒業後に鵜住居に戻り、震災伝承施設で町のガイドや防災学習等に従事。
ジュニア記者からの質問
Q 怖い思いもたくさんあったと思うんですが、最初に希望が見えたことはなんですか?
A みんながあらかじめ決めていた点呼場所に走って集まってきた時です。自分だけが逃げようと思っていたんじゃなくて、みんな危険だと思っていたんだと安心しました。
Q 生徒が率先避難者になるためには、日頃から教師と生徒がどのような防災教育を行えば、危機意識を持ちやすくなるのでしょうか?
A 防災教育だけでなく、日頃から教師と生徒の信頼関係が大切だと思います。
津波の警報が出たらとにかくすぐ逃げてください。釜石では津波についての伝承があります。①横揺れの地震②地震の揺れが長い③山の中からゴロゴロという音がした時。東日本大震災の時にも当てはまります。
Q 震災時、保護者との連絡の取り方についてどう思われますか?
A 震災後、津波の時には発災から24時間は保護者への引き渡しはせず、学校管理下で生徒の命を守ると決まりました。地震や大雨など災害ごとに設定するのであれば、保護者が誤解をしないようにきちんと伝え理解してもらう必要を感じています。
Q 家がなくなった子に対して、申し訳ないと思う気持ちを誰かと共有することはありましたか?
A 私は被災した中学校から被災していない高校に行ったので、心のケアというものを受けたことがありません。家が山手にあって近所の人も津波を見ていないので、抱えている思いを親にも話せませんでした。
Q 震災10年で町の変わったところや課題があれば教えてください。
A 同じ町とは思えないほど、町自体に懐かしさはありません。
今は、新しい町と工事中の町がバラバラにある状態です。
震災当時、落ち込んでいた人は、ようやく元気になってきています。けれど、震災後頑張りすぎた人は、安心したのか少し気持ちが沈んでいる人が増えているように思います。
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