HOMEリレー活動備える意識

 東日本大震災から9年がたち4月には熊本地震から4年を迎える。地震、台風、豪雨などの自然災害は、その後も日本の至る所で爪痕を残している。世界的な建築家である坂 茂さんが、被災地や難民への住居支援を続けているその思いとは……。昨年夏、関西に住む子どもたちが被災地を訪問し伝えていく「未来へ紡ぐリレープロジェクト」で、宮城県の石巻・女川の被災地を訪問した兵庫県立舞子高等学校環境防災科の生徒4人から坂さんへの質問をもとに聞いた。

木の代替品

 坂 茂さんはこれまで、世界各地で家を失った人々のための避難所の間仕切りづくりや、仮設住宅建設を続けている。阪神大震災で、紙管(しかん)を構造材に用いた『紙のログハウス』や、燃え落ちた鷹取の教会を再建した『紙の教会』が、注目を集めた。紙管は、紙や布、フィルムを巻く軸として用いられる。ではなぜ、紙管を使うようになったのか?

 「建築の実務経験がない1985年頃、展覧会の会場構成で木を使う予算がなく、代替材料として紙管を使ったのがきっかけです。非常に強度もあり、建築の構造体としての開発を始めました。紙管は世界のどこでも手に入る材料のうえ軽いので、重機を使わず、簡単に応急住宅をつくる工法を考え出しました」

 木の代替品として活用した紙管だったが、当時の日本はバブルの時代。エコロジーやサステナビリティー(持続可能性)の意識は皆無だった。乱立する特権階級のための建築。坂さんは、「建築家の仕事は社会の役に立っているのか」と疑問を感じていた。

試行錯誤を重ねる

 バブルが弾けた94年。手にした雑誌でルワンダ難民の写真を目にする。難民キャンプでは寒さに震え、肺炎もはやりはじめていた。坂さんの行動は素早い。直接、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)本部があるジュネーブに行き、再生紙の紙管シェルターを提案。森林伐採抑制のため、紙管シェルターは採用された。

 アイデアが形になり、実際に運用されるようになるまでには時間がかかる。しかし、現地に足を運び、試行錯誤を繰り返しながらでしか、利用者が求めるものは生まれない。

 「中越地震の時には避難所でプライバシーを守るものが必要だろうと思い、学生と一緒に間仕切りづくりに行きましたが、そのときは使う人の需要や役所の人たちの反応がわからず、役に立ちませんでした。しかし現地に行ったことで、避難所では閉鎖的なものより、昼間は開放できるものが良く、家族構成によってフレキシビリティー(柔軟性)も必要だということが分かりました」

 前例がないと、緊急時に受け入れてもらえない。その教訓から今では防災の日に、子どものイベントに学生が参加して間仕切りシステムの普及活動を行い、事前に自治体と防災協定を結び、迅速に対応できるように備えている。

コミュニティーの場

 阪神大震災の『紙の教会』、ニュージーランド地震(2011年)のクライストチャーチの『紙の大聖堂』など、地域住民のよりどころになっている場所への関わりが多い。

 「神戸の長田は、海外から来た難民のための職業訓練所があり、日本人被災者より不自由しているだろうと思い行きましたが、ルワンダと同じように大変な状況でした。紙のログハウスをきっかけに、長田区の教会跡に『紙の教会』をつくることになりました」

 教会は、宗教とは関係なく復興の拠点になることが多く、被災者やボランティアが集まる場所になる。

 「神戸の教会が素晴らしかったのは、地元の復興活動の拠点になっていたことです。クライストチャーチから連絡があった時にも、教会としてだけでなくコミュニティーセンターとして使われるのであればと、協力することにしました」

 クライストチャーチの『紙の大聖堂』は地元の人も気に入り、観光名所になっている。『紙の教会』は、台湾地震(1999年)の後、現地の要請があり移築され、今も現役だ。

現場で学ぶ

 大規模災害への備えは、一つの国だけでは解決しない。そこで、途上国での住宅供給と新しい雇用を生み出しつつ、日本で災害が起こった際にはそれを仮設住宅として活用するプロジェクトを大和リースと共同で立ち上げた。断熱性のある発泡ウレタンをFRP(繊維強化プラスチック)で挟んだ新しいパネルは、材料も入手しやすく、安価で、特殊な技術がなくてもつくることができる。

 「最初は災害支援と普通の仕事を両立させたいと思っていたけど、だんだん区別がないことに気がつきました。仮設住宅も立派な建築をつくるのも、自分の興味や情熱や満足度は変わらないのです」

 坂さんのプロジェクトには、多くの学生がボランティアとして参加する。

 「まず行って現場を見ることです。やることはいろいろありますから。飛び込んでいけば、自分にできることが見つかる。やってみて、問題を見つけて、少しずつ改善していく……。現場でしか学べません」

 知らないことを想像することは難しい。だから、動き、そのための知識を得る。紙管の利用や避難所でのプライバシー確保、コミュニティーの場をつくることもその場でなければ分からない。

 行動する人・坂さんからのエールを胸に、まず一歩、そしてまた一歩踏み出そう。その積み重ねこそが自分の、みんなの力になると信じて。

坂 茂(ばん・しげる)
1957年東京生まれ。建築家、慶應義塾大学環境情報学部教授。84年クーパー・ユニオン大(NY)卒。85年「坂茂建築設計」設立。2014年には建築界のノーベル賞と呼ばれる「プリツカー賞」を受賞。1995年「ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)」(2013年からNPO法人)を設立。難民や被災者の仮設住居の開発・提供に尽力。その功績から第26回(19年度)読売国際協力賞を受賞。

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