HOMEリレー活動熊谷育美さんインタビュー

      

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2018年1月17日
阪神・淡路大震災発生から23年目の日
神戸国際中学校・高等学校(須磨区)で
開催された東日本大震災の現状を伝える講演会とミニライブ

きっかけは
「未来へ紡ぐリレープロジェクト」に参加し
東北の被災地を訪れた当時小学5年生の女の子の声だった

「みんなにも東北の地震のことを知ってほしい」

 気仙沼在住のシンガーソングライター・熊谷育美さんと最初に会ったのは、東日本大震災直後の2011年5月1日のことだった。熊谷さんは地元・気仙沼で地震と津波に遭遇。まだ、震災のショックを引きずったまま、それでも気仙沼の現状を伝えることを地元の人に託された彼女は、懸命にインタビューに答えてくれた。その後、神戸・阪神間の子どもたちが東北の被災地を訪問する「未来へ紡ぐリレープロジェクト」で気仙沼を訪れた際に交流。今回の神戸訪問は、その際に参加した女の子の呼びかけに応えるため。18年1月17日早朝、神戸三宮の「阪神・淡路大震災 1.17のつどい」会場には、追悼の思いを込めた竹灯籠が並ぶ。熊谷さんは、降りしきる雨で消えるろうそくに、新しい火を灯(とも)した。

 「前日の夜11時ごろに東遊園地を通りがかったときは、準備をする係の人だけ。けれど17日は雨の中、たくさんの人が訪れていて、震災の灯は消えていないんだと改めて思いました。学校での講演では、被災時のことをスライドを交えてお話しし、講演後、「日頃から用意しておくと良いものは?」などの質問が出ました。ライブは、みなさんが真剣に聴いてくれ、歌に込めた私の思いも伝えることができました。震災を知らない世代が増えていく中で、継続して伝えていくことの大切さを改めて感じています。

 典型的なリアス式海岸に位置する気仙沼・唐桑半島の「唐桑半島ビジターセンター」には、1984年の設立当初から「津波体験館」がある。津波は気仙沼にとって、他の地域の人が思う以上に身近な存在だった。

 気仙沼では昔から頻繁に津波注意報が出て、3月11日の2日前にも大きな地震がありました。そのときにはみんな、金庫などを持って高台に避難しています。解除になるまでの時間はその場で待機。だから11日の日も、「またか」と思った人も多かったんじゃないかと思います。それでも、高台へというのは、みんな日頃から意識していました。


 外洋は荒れていても、唐桑半島と大島が気仙沼の内湾を穏やかな港にしていた。時化(しけ)の時には、多くの船が気仙沼港に避難した。熊谷さんはごく身近な自然の風景を見て過ごし、突き動かされる感情を歌に込めてきた。

 海は優しくて、でも時に牙をむき怒り狂う。気仙沼で生まれ育ち、歌を作り始めた頃から、自然をテーマにした歌を数多く作ってきました。地震や津波を身近に感じ、その怖さを歌詞の中に落とし込んでいる曲もあります。けれど、震災後はどうしても、そうした歌を歌うことができなかった。生きていくことに必死だったし、歌で町の人を傷つけちゃいけないとも思いました。でも7年がたって、そろそろ自然をテーマにした、震災を体験した私でしか歌えない歌、本当の自分を出してもいいのかな、と思っています。


 
7年前、「みんなの好きな気仙沼が元気な港町に戻るように、一人でも多くの方の心が、あしたに向かうことを願っています」と話した熊谷さん。彼女もまた、結婚し、子どもにも恵まれた。夢のつづきに向かって前を向き、しっかりとした足取りで歩こうとしている。

 1月17日の講演会の日、生徒会の呼びかけに応じて20数人の生徒が三宮の東遊園地へ募金に行ったという。ほのかな明かりが灯る東遊園地の竹灯籠に、生徒たちは何を願ったのだろう。

熊谷育美(くまがい・いくみ):1985年、宮城県気仙沼市生まれ、在住。シンガーソングライター。2011年、地元気仙沼で取材中に大地震、津波、大火災に遭遇する。NHK復興支援ソング「花は咲く」プロジェクトにも参加。13年に映画「くちづけ」の主題歌「グッド・バイ・マイ・ラブ」で、第68回日本放送映画藝術大賞の映画部門優秀主題歌賞を受賞。16年、結婚を発表。17年9月女の子を出産。現在は気仙沼で、育児とラジオ収録、創作活動の忙しい日々を送る。

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