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6月18日に発生した「大阪北部地震」、11府県に大雨特別警報が出されるという異例の大雨被害をもたらした「平成30年7月豪雨」。立て続けに日本を襲った自然の猛威にどう対処すればいいのか。防災・危機管理アドバイザーの山村武彦さんに、その対策を聞いた。
防災システム研究所所長 防災・危機管理アドバイザー
山村 武彦(やまむら たけひこ)氏
PROFILE
1964年の新潟地震のボランティア活動を機に、防災アドバイザーを志す。自治体や企業の防災アドバイザーを務めるなど実践的防災・危機管理の第一人者。世界中で250か所以上の災害現地調査を行う。
大阪北部地震は、阪神・淡路大震災や熊本地震のような建物が倒壊しやすい揺れとは大きく違い、被害にあった建物の99.6%が一部損壊(瓦落下)や、耐震性の低いブロック塀が倒れやすい揺れ方でした。また、平成30年7月豪雨は、11府県に大雨特別警報を出すなど広範囲に長時間、猛烈な雨が続いたことが大きな特徴です。降り続く雨で本流の水位が上がり支流が逆流して氾濫を起こすバックウォーター現象により、各所で河川氾濫が起きてしまいました。こうした、猛烈な雨、猛烈な熱波、猛烈な地震、猛烈な台風など、めったに起こらないとされている「極端気象災害」が増えています。
洪水による浸水は高低差によって発生するので、ある程度想定できます。今回の豪雨被害も、2000年の東海豪雨(1時間雨量114㎜)を想定し作成した洪水ハザードマップ通りに浸水しています。しかし、ハザードマップの浸水区域内に避難所があったり役所があったり。浸水した避難所は全国で467か所もありました。中には地震を想定した避難所もあるので、災害に応じた避難所なのかを検証する必要があります。また、場所だけでなく避難経路の安全確保など、7月豪雨は私たちに多くの教訓を残しています。
昨今話題になることの多い南海トラフ地震が30年以内に発生する確率は、70〜80%といわれています。この80%は30年後ではなく、今この瞬間も含めて80%の確率で起こることを意味し、時間経過とともに危険度はさらに増していくのです。南海トラフ地震は、震源域が陸に近いため直下型地震と海溝型地震の両方を兼ね備えた揺れ方になる可能性があります。津波の注意だけではなく、強烈な揺れにも備える必要があります。海岸から離れているから安心ということではなく、大揺れ対策もしなければなりません。
人間には、「うちは大丈夫」「自分は被害に遭わない」と期待する本能があります。過剰反応を抑制し、異常事態でも正常の範囲と認識する安全装置「正常性バイアス」が働いているのです。しかし、それが固定観念になってしまい、地震は当分起きないと思っていると、いざという時に判断が鈍り、避難を遅らせる結果にもなってしまいます。また、とっさの時に体が動かなくなる凍りつき症候群にも陥りやすいのです。そうならないためには、実践的な訓練と準備をして災害を迎え撃つ姿勢が大切です。
あるマンションでは、震度5弱以上になったら同じフロアで安否確認を行い、避難時は一緒にというルールをつくっています。防災の基本は自助ですが、顔の見える向こう三軒両隣で助け合う、防災隣組をつくりましょう。高齢社会になると、遠くの親戚より近くの他人が頼りになります。避難するときに声を掛け合って避難する「互近助(ごきんじょ)」の隣保共助が大切です。
何か起こってから対処できる防災はせいぜい2割。災害後の対処訓練はもちろん大切ですが、火を消す訓練の前に火を出さない準備と訓練、閉じ込められた人を助ける訓練の前に閉じ込められない訓練を行う「災害予防訓練」をしっかりやりましょう。備蓄について話し合う「家族防災会議」、家具を固定する前に家の中を片づける「防災大掃除」がお勧めです。
9月の防災月間を、ぜひ家族やご近所で災害予防について考える機会にしてください。
大阪を訪れる外国人観光客は昨年、過去最高の1111万人を記録した。大阪北部地震では訪日客の多くが言葉の壁などから「情報難民」になったといわれている。この日、大阪市内のホテルではどのように取り組んだのか。宿泊客の外国人比率が4割という51階建ての高層ホテル「アートホテル大阪ベイタワー」は大きく揺れ、宿泊客から不安の声が相次いだ。ロビーにホワイトボードを設置し、交通情報をはじめとする最新情報の案内や、外国語を話せるスタッフの対応で不安解消に努めた。低層のホテルに移りたいという要望には系列ホテルを紹介したという。定期的な避難訓練と、系列ホテルとの連携、阪神・淡路大震災を経験したスタッフらが知恵を出し合うことで、災害時に混乱がないよう備えている。同ホテルの鈴木哲三宿泊支配人兼管理支配人は今後の対策について、「外国人、日本人問わずお客様の安全が大前提。訪日客に対しては、館内放送など各国の言葉でいかにわかりやすく伝えることができるかが課題」と述べた。
震災の悲しみや教訓を風化させないため、被災地の今を関西に住む子ども記者が自分の目で確かめ、防災の必要性、復興への希望を次世代へと紡いでいくことをテーマに、2014年からスタートした「未来へ紡ぐリレープロジェクト」。今年は8月20~22日の2泊3日で、東日本大震災の被災地である岩手県釜石市、宮城県気仙沼市などを訪れた。
11年の大震災から7年、被災地はどのように街の再生に取り組んでいるのだろうか。小学5、6年生による子ども記者5人にとって、初めて見る東北の被災地。津波の被害が大きかった沿岸部を中心に新しい街づくりがどんどん進んでいる。地元の人だけでなく、東北以外から来た人たちも一生懸命「街の未来図」を描き、汗を流す。
「もっとたくさんの人が訪れ、愛される場所に」。それは、釜石でも気仙沼でも同じだった。遠い関西から訪れた僕たち、私たちにできることは何か。子どもたちは自分に問いかけながら、3日間を駆け抜けた。