法隆寺フォーラム2021
-護り伝えられてきた聖徳太子信仰-
【主催】法隆寺、読売新聞社、NHK奈良放送局
【協賛】岩谷産業、ビーバンジョア
(2021年12月27日:読売新聞大阪本社版朝刊記事を基に作成)
「法隆寺フォーラム2021 護(まも)り伝えられてきた聖徳太子信仰」が11月23日、奈良市の奈良県文化会館で開かれた。今年の聖徳太子1400年御遠忌(ごおんき)に合わせ、法隆寺(奈良県斑鳩町〈いかるがちょう〉)と読売新聞社が取り組んできた「聖徳太子1400年の祈り」キャンペーンの一環。古谷正覚(しょうかく)管長の基調講演と、古谷管長、井上洋一・奈良国立博物館長、東野治之・奈良大・大阪大名誉教授の鼎談(ていだん)に、約400人が聞き入った。(司会はNHK奈良放送局の吉田真人アナウンサー)
利他の心 平和な世願い
古谷正覚管長
聖徳太子1400年御遠忌の締めくくりにあたり、太子の心についてお話しします。
太子が生きた時代は、皇位継承などの争いが絶えない時代でした。穴穂部(あなほべの)皇子の殺害、物部氏の滅亡、崇峻(すしゅん)天皇の暗殺など悲惨な出来事が相次ぎました。太子は、平和な世の中を作りたい、その実現のために仏教を広めよう、と考えられました。
理想の国を作ろうと、604年に十七条憲法を定めました。「和を以(もっ)て貴しとなす」という第1条は最も重要な条文です。和という言葉には、調和や温和、和睦、平和など色々な意味がありますが、ここでは、協調して仲良くする「和合」という意味の重要性が示されています。
太子が3人に残した言葉が伝えられています。妃(きさき)の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)へは「世間虚仮(せけんこけ)、唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」。世の中は仮のものとして存在しており、仏の教えが真実で、仏に帰依することが大事である、と説かれています。
田村(たむらの)皇子(舒明天皇)に伝えたのは「財物易亡而不可永保、但三宝之法、不絶而可以永伝(財物は亡〈ほろ〉び易〈やす〉くして永く保つべからず、ただ三宝の法は絶えずして永く伝うべし)」。財物は滅びやすく、永遠に保つことはできないが、仏教の教えだけは永遠に滅びず、いつまでも大切に伝えるべきだ、という意味です。
子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)を始めとする諸皇子には「諸悪莫作(しょあくまくさ)、諸善奉行(しょぜんぶぎょう)」。体で行う三つの悪、口で言う四つの悪、心で思う三つの悪を合わせた「十悪」はするな、その反対に「十善」を行えという戒めです。まず己を正すことが必要で、そのために体、口、心の三つが善であることの重要性を示されました。
太子は仏の真実の教えを後世に伝える言葉を残し、救世観音の化身としてあがめられました。それが伝説となり、太子信仰に発展しました。
太子は人々が平和に暮らせる理想の世界の実現を願い、その心を支えているのが仏教です。多くの人々の平和を願う「利他の心」が今も太子信仰の根幹をなしています。御遠忌の年に、改めて太子の心を知っていただければと願っています。
――コロナ禍のなか、現状は。
古谷 流行拡大を受け、昨年4月23日~5月20日、法隆寺は拝観中止の事態となったが、本年4月、聖徳太子1400年御遠忌を迎え、無事に法要を営むことができた。10月以降、修学旅行生が訪れるようになり、やっと観光客や拝観の皆さんが戻ってきた。
井上 奈良国立博物館(奈良博)も少しずつ来館者が増え、にぎわいを取り戻しつつある。
東野 私は現在、大学で講義をしていないが、先生方に聞くと講義がオンラインになり準備が大変だったようだ。
――1400年遠忌を迎えた今年は、どんな1年だったか。
古谷 4月3日から3日間の法要を執り行い、新型コロナウイルスの早期終息もお祈りした。コロナ禍の中での法要となり、大規模にはできなかったが、無事終えることができた。
井上 奈良博が主催する正倉院展は73回目を迎えた。私が館長となって初の開催だった。約7万4000人が訪れ、宝物を見ることで心穏やかになっていただけたと思う。奈良博と法隆寺の関わりで言えば、かつて寺宝が寄託されていたこともあり、戦後、1948年から法隆寺をテーマに13の展覧会を開催した。素晴らしいご縁をいただいている。
東野 100年前の1300年遠忌は、NHK大河ドラマの主人公、渋沢栄一と関係があった。1300年遠忌の奉賛会の人々が、渋沢に会長になってもらおうと依頼に行くと、聖徳太子を評価しない水戸学を学んで育ったことを理由にいったん断った。だが、説得されて会長ではなく副会長ならと引き受けたという逸話がある。渋沢の援助もあり、1300年遠忌は盛大に行われた。太子の再評価につながったという点で、功績があった人物だ。
――特別展「聖徳太子と法隆寺」が4~6月、奈良博で開かれた。
古谷 金堂の薬師如来坐像(ざぞう)や、聖霊院(しょうりょういん)の中に安置されている聖徳太子坐像など、法隆寺からめったに出ないものを出させていただいた。この太子像は1121年の500年遠忌に作られた。胎内に経巻や観音菩薩(ぼさつ)像が納入されていて、太子が救世(くせ)観音の化身だという信仰に基づいている。
井上 コロナ禍は続いていたが、ぜひ成功させたいという強い思いがあった。文化庁などと協議し、開催に踏み切った。こんな苦しい決断を迫られたことはなかった。
東野 薬師如来坐像の展示では、普段、見えない部分を見ることができた。光背の銘文は法隆寺の草創を記した貴重な金石文。法華義疏(ほっけぎしょ)(宮内庁蔵)は聖徳太子の原稿とされている。自筆だからこそ大事にされたのだと思う。こういう貴重なものが残る法隆寺はすごい寺だと実感させられた。
――最後に一言ずつ。
東野 聖徳太子は非常に謎の多い人物。「ここまでは言える」ということをできる限り追究してきたが、わかったことは、ごくわずか。いろいろな課題がある。
井上 法隆寺では1949年の火災で金堂の壁画が損傷したが、文化財保護に積極的に取り組み、日本で初めて世界遺産に登録された。私たち一人一人にとってかけがえのない宝。みんなで守り伝えなければならない。
古谷 「聖徳太子1400年の祈り」キャンペーンに、10年にわたって取り組んだ。キャンペーンは成功裏に終わったが、今後も太子の和の心を広め、次の世代へ文化、文化財を伝えていくのが我々の使命だ。
※文は関口和哉、土谷武嗣、写真は枡田直也が担当しました。