kumo_56_gold_bottom_l 法隆寺の聖霊会 kumo_56_gold_bottom_r

【主催】法隆寺、読売新聞社
【協賛】岩谷産業、ビーバンジョア 
【特別協力】公益社団法人南都楽所、NHK大阪放送局

(2019年3月13日:読売新聞大阪本社版朝刊記事を基に作成)

 聖徳太子の遺徳をたたえる法隆寺(奈良県斑鳩町〈いかるがちょう〉)の法要、聖霊会〈しょうりょうえ〉を紹介する「法隆寺の聖霊会」(法隆寺、読売新聞社主催)が2月16日、大阪市中央区のエル・おおさかで開かれた。聖徳太子の1400年御遠忌〈ごおんき〉(2021年)に向け、法隆寺と読売新聞社が取り組む「聖徳太子1400年の祈り」キャンペーンの一環。法隆寺の大野玄妙管長が基調講演を行ったほか、法隆寺の僧侶による声明〈しょうみょう〉、雅楽団体「南都楽所〈がくそ〉」の舞楽も披露され、約700人が聞き入った。

基調講演 「法隆寺の聖徳太子と聖霊会」

  • おおの げんみょう 1947年、大阪府生まれ。93年に法隆寺執事長となり、法起寺住職などを歴任。99年から聖徳宗第6代管長、法隆寺第129世住職を務める

太子の教え 和の心
法隆寺管長 大野玄妙さん

 聖霊会とは、法隆寺を創建した聖徳太子の遺徳をたたえ供養する法要のことで、法隆寺だけではなく、太子にゆかりのある全国の寺で営まれています。

 法隆寺はかつて、夢殿がある東院と、五重塔や金堂を中心とした西院が互いに独立していました。役割の異なる二つの寺が並立しているような状態で、聖霊会も別々に営まれていたのです。

 聖霊会は奈良時代に始まったとされ、室町時代に最盛期を迎えました。14世紀末からの約200年で130回も営まれたといいます。

 元禄4年(1691年)からは、東院での聖霊会が西院大講堂前に場所を移しました。この大講堂前で10年に1度行われる法要を、大会式〈だいえしき〉と呼びます。東院夢殿から大講堂前に至る行列を伴う大規模なものです。次は2021年にあります。

 一方、聖徳太子の命日にあたる3月22日に西院の聖霊院で毎年営まれる法要を小会式〈しょうえしき〉といいます。太子は旧暦の2月22日に亡くなられたのですが、毎年の小会式は新暦に合わせて1か月遅れにしているわけです。

 10年に1度の大会式は、「四箇〈しか〉法要」の形式で営まれます。四箇法要とは、仏をたたえる声明の唄匿〈ばいのく〉、仏を迎える花をまく散華〈さんげ〉など4項目からなります。唄匿は、小さな声から徐々に大きな声になっていくという、聴衆の注意を引きつける仕掛けが施されています。

 儀式で用いられる太鼓などは鎌倉時代に源頼朝から寄進されたもので、今でも現役で使われています。

 大会式では、五重塔に吹き流しが付けられ、回廊に幡〈ばん〉(旗)が飾られるなど寺全体がにぎやかな雰囲気に包まれます。いつもとは違う境内の景観を、ぜひ見ていただきたいと思います。

  • 聖徳太子と法隆寺関連年表

 聖徳太子をおまつりする法隆寺の中で、金堂の釈迦三尊像は太子の身長と同じ寸法だとされます。太子の病気平癒を願って造られ、太子が亡くなった1年後の623年に完成しました。その光背銘には、六道に迷う全ての人が救われることが願文として刻まれています。

 児童虐待の問題が取りざたされるなど現代は困難な時代ですが、皆が太子の教えである和の心を持てば、平和な時代が訪れると信じています。

法要公演 「聖霊会の声明と舞楽」

舞楽が結ぶ 縁と伝統
南都楽所常務理事 堀川俊さん

  • 法隆寺の僧侶と南都楽所による管絃法要

 南都楽所は、春日大社(奈良市)に事務所を置き、春日大社のほか法隆寺、東大寺などの年中行事や50年、100年ごとに行われる大きな法要において、舞楽などで奉仕することを中心に活動しています。

  • 法隆寺僧侶による散華

 1400年も前、飛鳥に都があった時代に朝鮮半島の高句麗、新羅、百済の「三韓楽」が日本に伝わりました。7~9世紀にかけて中国に遣隋使、遣唐使が派遣され、シルクロードを通じて様々な国の芸能が日本に順次伝わり、雅楽が成立しました。

 奈良時代には「雅楽寮」という国立の音楽学校が設けられ、日本人が渡来人から雅楽を伝授され、宮中行事や奈良の大寺院の法要に奉仕しました。752年、東大寺で行われた大仏開眼供養会は、国内の芸能に加えて唐や朝鮮半島など様々な国の舞楽が奏され、盛大な法要となりました。

  • 南都楽所による舞楽「蘇莫者」

 平安時代に入って、外来のものを日本の国風に合わせていくことが進み、雅楽の整理も行われました。やがて宮中の「大内楽所」、興福寺・春日神社(当時)を中心とした「南都楽所」、大阪・四天王寺を中心とした「天王寺楽所」という「三方楽所」が成立しました。楽人は国から位をもらい、俸給を支給され、それが明治時代末まで続きました。明治維新で天皇陛下が東京においでになり、三方の楽人のほとんどがお供しました。当時、南都(奈良)に残った楽人の指導があって、現在まで150年以上にわたって、何とか伝統を引き継いでいます。

 法隆寺では、毎年の小会式、10年に1度の大会式で奉仕しています。大会式では「蘇莫者〈そまくしゃ〉」を含め、たくさんの舞楽を奏します。法隆寺さんとは中国の西安や洛陽での行事でも演奏させていただくなど、非常に深い関係にあります。


【蘇莫者】
 聖霊会で舞われる演目の一つで、聖徳太子とのゆかりが深い。太子の吹く笛に合わせて山の神・老猿が喜び舞ったという伝承が残されている。