法隆寺フォーラム2018
-古代史のなかの伊予-
【主催】法隆寺、読売新聞社、NHK松山放送局
【後援】松山市
【協賛】岩谷産業、ビーバンジョア
(2018年3月14日:読売新聞大阪本社版朝刊記事を基に作成)
聖徳太子が説いた「和」の精神を考える「法隆寺フォーラム2018―古代史のなかの伊予―」(法隆寺、読売新聞社など主催)が2月17日、松山市の市立子規記念博物館で開かれた。太子の1400年御遠忌(ごおんき)(2021年)に向け、法隆寺(奈良県斑鳩町(いかるがちょう))と読売新聞社が取り組む「聖徳太子1400年の祈り」キャンペーンの一環。法隆寺の大野玄妙管長と愛媛県埋蔵文化財センター理事長の前園実知雄さん、作家の玉岡かおるさんが、太子と伊予(愛媛)とのつながりなどをテーマに話し合い、約300人が耳を傾けた。(司会は阿部陽子・NHK大阪放送局アナウンサー)
和の心 新しい文化生む
大野玄妙・法隆寺管長
聖徳太子様は大陸の文化を取り入れようと、生涯、努力を重ねられました。仏教が伝来しても、祖先をおまつりする、従来の神事祭式も大事にされた。この調和の考え方こそが太子様の教え。それが現在に引き継がれ、私たちは海外の文化を受け入れることができ、多様性に富んだ新しい文化を切り開いてきたのです。
法隆寺と伊予との結びつきは、太子様の中国文化への関心に由来します。当時のルートは斑鳩から大阪の難波津(港)まで行き、瀬戸内海を通って伊予へ。その先、さらに大分に渡り、大宰府を経て、玄界灘を越えると、隋(中国)へとつながっていました。法隆寺の荘園は、この瀬戸内海沿いに密集しています。
荘園の人々は、税として労働力を提供し、寺の建立を手伝いました。技術を習得して持ち帰り、地場産業を興したのです。こうして文化は広がりました。
法隆寺と同じ型の瓦が、伊予でもたくさん出土しています。人々は技術だけでなく、太子様の「和の心」も一緒に持ち帰り、伝えたのでしょう。
皆様にもぜひ、太子様の教えを受け止めていただきたいと願っています。
司会 聖徳太子は道後温泉を訪れたのでしょうか。
前園 鎌倉時代の注釈書「釈日本紀(しゃくにほんぎ)」に、「伊予国風土記」を引用する形で、太子が道後温泉で作った碑文の文面が記されています。誰にも平等に恩恵を与える温泉のように、自然の摂理に従って政(まつりごと)を行えば、理想的な国になるとつづられている。石碑そのものは見つかっていませんが、万葉歌人、山部赤人(やまべのあかひと)が道後温泉を詠んだ歌にはよく似た表現があり、碑文を知っていたのではないでしょうか。
玉岡 鳥のさえずりが聞こえ、ツバキがトンネルのように覆い重なる――と、碑文の文面からは、太子さんの感情がほとばしるようです。日本人は美しい景色を見れば歌を詠まずにはいられない。太子さんも湯にゆっくりつかり、そんな思いに駆られたのでしょう。
聖徳太子の碑文
飛鳥乃湯泉の庭には、聖徳太子の碑文を刻んだ石碑が立つ。太子真筆と伝わる文書から文字を拾い、文書にない文字は万葉書作家、鈴木葩光(はこう)氏が書いた。
大野 太子様は間違いなく来られています。伊予を訪れた596年から斑鳩宮を造った601年まで、太子様は歴史の表舞台から消えますが、理想的な政治を目指し、伊予など各地を視察しておられたのではないか。温泉につかり、新たな宮を構想したかもしれない。人生を変える転機になったのではないでしょうか。
司会 法隆寺は、伊予などの遠隔地と、どんな関係だったのでしょう。
前園 奈良時代の法隆寺の資財帳によると、法隆寺には伊予と播磨(兵庫県南西部)に複数の水田や庄倉(穀物倉庫)があったことが記録されています。どちらからも法隆寺と同じ瓦がたくさん見つかっており、関係の深さがうかがえます。また、松山には「播磨塚天神山古墳」という前方後円墳があり、瀬戸内海を挟んだ両地域でも活発な交流があったと考えられます。
玉岡 「松山の播磨塚」ってワクワクしますね。播磨は古くから交通の要衝で大陸の最新の文化、技術をいち早く取り入れた地。鉄の農具で田畑を耕し、肥沃(ひよく)な土地が広がっていました。太子ゆかりの寺院も多く、豊かな経済力を基盤に法隆寺を支えたのでしょう。
大野 明治時代以降、法隆寺の名を改めて世に知らしめたのは、俳人の正岡子規さんと哲学者の和辻哲郎さんです。それぞれが伊予と播磨の出身というのも、不思議なご縁を感じます。
司会 太子がつなぐ古代からの縁。今後も発展させていきたいですね。
前園 道後温泉の池跡からは斉明天皇時代の土器が出土しています。飛鳥時代から積み重なっており、考古学的には日本で最も古い温泉の一つです。まだ見つかっていない聖徳太子の碑文を記した石碑など、今後の調査に期待しています。
玉岡 太子さんが日本人の心を捉えて離さないのは、「和を以(もっ)て貴しと為(な)す」の精神にあると思います。世界では様々な宗教戦争や対立がありますが、日本に仏様も神様もいるのは太子さんのおかげ。多様性を受け入れる太子の心を受け継ぐことに意義があります。
大野 クリスマスに除夜の鐘、初詣、バレンタインと、様々な背景を持つ行事をうまく受け入れるのは、日本人の優れた宗教観です。仏教を受容した太子様の精神に倣い、互いに認め合い、助け合う社会が長く続いてほしいと思います。
道後温泉本館 124年の歴史
別館飛鳥乃湯泉が昨秋開業
夏目漱石の小説「坊っちゃん」で、主人公が浴槽で泳いだ道後温泉本館は、明治の建築から124年になる。重要文化財ながら、今も公衆浴場として年間80万人以上が利用する。約7年にわたる耐震改修工事が来年1月にも始まるが、複数ある浴槽の工期をずらして部分的に営業を続ける。
昨秋、道後温泉別館飛鳥乃湯泉(あすかのゆ)が開業。聖徳太子が訪れたという伝説にちなみ、飛鳥時代のイメージで建設された。「柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺」の句を詠んだ松山出身の俳人正岡子規の縁もあり、大野管長が玄関の看板を揮毫(きごう)した。